アーカイブ

自由化とオイルショックの昭和四〇年代

昭和四二年には英国の経済雑誌『エコノミスト』が日本経済を称して「リズンサン(昇った太陽)」と特集記事を書いているが、海外各国からもその成長ぶりは注目の的であった。その四二年からは化粧品出荷実績にシャンプーも加算されることとなり一三三六億円、同年にはエスティ・ローダーの日本進出、翌四三年には訪販外資メーカーのエイボンが上陸、同年には地婦連が一〇〇円化粧品の発売など、激しい競争が繰り広げられるが、結果的にはこうした競争が相乗作用となり化粧品市場の拡大につながっていく。四四年当時も日本経済は大型景気が続き、「昭和元禄」の消費時代と言われた。四五年には大阪万博が開催され、一九七〇年代の到来を飾るにふさわしいビッグイベントであった。この年化粧品出荷高は二二一三億円と二〇〇〇億円を突破、以後六〇年に一兆九七九億円で一兆円の大台を越すまで、ほぼ一年おきに約一〇〇〇万円の上乗せ金額を達成していく。その間、日本経済は昭和四二年の第一次資本自由化に始まり、四四年第二次、四五年第三次、四六年第四次、そして四八年には第五次自由化が発表され一〇〇%市場開放となり、化粧品業界にとっても外国化粧品メーカー進出などの面で重要な影響を及ぼしていく。一方、業界団体としての国際交流も進展する。すでに三七年に日本化粧品技術者連合会は国際化粧品技術者連盟に加入し、世界の舞台で化粧品業界が協調と連携の体制を推進していたが、四八年には国際化粧品情報センター(略称IICCI)を設立し国際交流が活発となる。四七年の化粧品出荷高は三〇一九億円、対前年増加率一八・三%であった。その後、四七年には田中内閣の「日本列島改造論」が発表され、土地買占め、地価の上昇が問題となる。翌四八年、化粧品業界は制度品各社を中心としたキャンペーンブームで、新規需要の開拓が行われ好調に推移するが、一〇月六日に勃発した第四次中東戦争の影響を受けて第一次オイルショックを体験する。尼崎の灘神戸生協くみあいマーケット園田店で発生したトイレットペーパー買溜め騒ぎでは、けが人が発生する事態にまでなった。石油製品の買溜め騒ぎはシャンプー、リンス、化粧品にまで及び、結果的にこの年は化粧品出荷高は三六七五億円、対前年増加率二一・七%という高成長率を記録、業界の発展に貢献している。四九年にはオイルショック後の狂乱物価と日銀の引締め政策で景気が減速、インフレと不況が同居するスタグフレーションを経験することとなる。化粧品業界では明治期に日本初の無鉛白粉を発売した一般品メーカー老舗のパピリオが繊維メーカーの帝人と資本提携、帝人パピリオと改称、同年九月には化粧品再販制度の縮小で、一〇〇一円以上の化粧品について再販制度が撤廃され、新しい時代の到来を象徴する出来事が続いた。この年の出荷実績も四一九五億円、対前年増加率一四・二%という高い成長率を示している。
(参考)
美白化粧品選びの基礎

美白化粧品選びの心得

美白化粧品選びのテク