宗教教育は幼児期でないと身につかないものだと考えていますが、たとえば絶対的なキリスト教の価値観を幼児期にもった子供は、将来自分の価値観と違うものを見た時に、「これは違う」というはっきりした判断ができるわけです。聖書を読んだり、宗教教育を受けてきた子供は、たとえば成人した時に新興宗教などの教えを聞いた時に、「これは自分か教わったこととはまったく違うぞ」と疑いをもつことができます。最近の人間には、絶対的な基準をもって自分を導いてくれる人に飢えているところがありますから、免疫がないと、クラッとしてしまうわけです。宗教でなくとも私学というのは、はっきりとした価値基準があり、それを子供に植えつけて教育していくわけです。「お受験」をするということは、その学校の建学の精神を子供の価値基準として与えてやることでもあるのです。願書は、みなそうやって書きます。「幼児期にキリスト教の価値基準を身につけさせることは必要欠くべからざることだと考えます」「お受験」にむかう親は、キリスト教をファッションとして認知しているわけではありません。家庭の中に宗教をもっている親は、学校で違うことを教えてほしくありません。逆に学校で同じことを教えてくれると、家庭で相乗効果が得られます。
(参考)
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